大判例

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大阪高等裁判所 昭和44年(う)493号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕よつて、記録及び当審における事実調べの結果を精査して考察するに、被告人と原審相被告人佐藤孝、同太田末雄との間に本件強盗についての共謀が成立した後の段階における強盗の実行行為については被告人が主導的立場に在つたもので、しかも被害者薬師利八郎を惨殺するという実行行為は被告人が自ら単独でこれを敢行したものであつて、被告人を本件犯行の主犯であると目すべきこと、本件強盗の犯行の動機は被告人が特に生活に困窮していなかつたのに小遣銭、遊興費欲しさから出たもので同情に値するものでなく、被害者にはなんら責められるべき事情がないこと、本件殺害の方法は、革バンド、タオル等で手足をしばり、目かくし、さるぐつわをして全く身動きもできない状態にした被害者を女湯洗い場のタイルの上に横臥させ、全く無抵抗状態の被害者に対し、被告人が確定的殺意の下に、所携のあいくちを以て、力一杯その心臓部をめがけて三回も突き刺し、胸部から噴る水のように出血させ、瞬時にして失血死するに至らせたものであつて、その惨状は鬼哭啾啾として目を覆わしめるものがあること、被害者の遺族は被告人の犯行により物心両面にわたつて深刻な痛手を受け、被告人に対する宥恕の念を抱いていないこと、被告人にはさきに義父を殺害したことにより懲役六年の刑に処せられた前科があり、その刑の仮出獄中に本件を敢行したものであること等の諸点は、検察官指摘のとおりである。

然しながら、被告人等が強盗のため薬師方に押入るに先立ちあいくち及び切り出しナイフを準備携行したことは、これらの兇器を単に脅迫の具に供するに止まらず、もし被害者が抵抗しまたは犯人の人相を認知した場合にはこれらの兇器を揮つて被害者に危害を加えるという行動に出ることを被告人等が潜在的に意識していたであろうと想像されることは検察官所論のとおりであると思われるが、被告人に殺意を抱かせた直接の契機は、強盗の実行を終え被害者の手足を緊縛し目かくし、さるぐつわをした後被告人が共犯者佐藤を一足先きに薬師方から逃走させて単身現場に残留した上、犯行の発覚をできるだけ遅らせる目的で被害者をさらに女湯洗い場まで連れ込んでおこうとした際に、被害者が「にいさんさつき表で会うた人やね」と言つたため(註、被告人と佐藤が強盗に押入る少し前に被告人が薬師方表道路上で知人城島時子夫婦に出会つた際入浴客である城島を送り出した被害者が被告人と顔を合わせている。)とつさに自分達の犯行であることの露見をまぬがれるために同人を殺害する外はないと決意したものであることは、原判決認定のとおりであつて、被害者が右のような一言を発した真意は、被告人及び佐藤の両各から兇器を示して脅迫され金品を強収された後、佐藤が現場を立去つてしまつたので、それまでの恐怖緊張がややほぐれて思わず不用意に洩らした言葉であるのか、あるいは被告人に親近感を与えることによつて一刻も早く平穏に退去してもらいたいという意図で話しかけたものかは、必ずしも明らかでないが、少くとも被害者の右の一言が被告人の殺意を直接に誘発したものであることは否定できない。従つてこの点は量刑に当つて参酌すべきことであるし、また検察官は、被告人には反省悔悟の情がないと主張するのであるが、なるほど被告人は捜査段階、原審公判ならびに当審公判を通じ反省悔悟の情を表明していないけれども、真実その内心においても悔悟していないと断定するのはいささか早計であり、その態度が単なる強がりや常識に対する反撥によるものか、または本件による重大な責任を感ずる余り今更悔悟の情を表白しても無意味であるとしているのであるかも知れないと考える余地もあると思われるのである。

それはさておき、最も注意と配慮を払わなければならないことは被告人の生育歴及び前科である。被告人は六才の時実父と死別し以後大阪府寝屋川市で失業対策事業の人夫として働く実母上阪カノの手で養育されたが、被告人の小学生時代にカノは失対人夫の監督をしていた日高重一と内縁関係を結び同せい生活に入り、被告人も実母、義父と共に暮していたところ、中学二年生の時被告人は後記のような事情で家出し諸所を転々として工員、土方等をしていたが、昭和三七年五月下旬頃実母、義父日高の許に帰来し、間もなく同年六月二六日日高を殺害し懲役六年の刑に処せられたものである。ところで右殺人事件の判決書謄本によると「被告人は日高と同居中(家出前)同人になじむことができず次第に反抗的態度を示すようになり、一方日高もまたこのような被告人を邪魔者扱いにしていたところ、或る日、被告人が日高の財布から金を六、〇〇〇円位抜き取つたことが発覚し、これに激怒した日高において、被告人を正座させ木製の肩たたきで被告人の左太ももを約二時間にわたり殴打するという乱暴な仕打に及んだので、被告人の心はそのためひどく傷つけられ昭和三一年一〇月頃遂に当時通つていた寝屋川市立第二中学校二年を中退して家出し、……中略……同三七年五月になつて、カノから、話したいことがあるから一度帰つてきてくれという手紙が届いたので、同月二四日頃(冒頭掲記の)錦荘アバートに住んでいるカノの許に帰つてきたが、早々同女から日高がカノを虐待し乱暴を働くので何とかして別れたい旨打明けられ、かつ同女の体に数個所暴行のあとがあるのを見るに及んで、約七年前被告人自身が日高から受けた仕打を想起し、いたく憤激し、是非ともカノと日高とを別れさせようと考えたが、時期を待つうち日高の気性からして所詮話合いでは円満に片付かないものと判断し、一層のこと母カノの苦境を救い自身のかねての恨みを晴らすため日高を殺害しようと考えるに至り……中略……同年六月二六日日高を殺害するに至つた」ことが認められるのである。そしてさらに右判決書謄本によれば、右殺人の手段方法は、予め登山用ナイフを買求めて機会をうかがい日高が失対事業服務の途中民家の庭先で仰向けになつて昼寝をしている際その傍らに近寄りいきなり所携の右ナイフで同人の左側腹部等を突刺しあるいは切りつけて腸管膜動脈等切断を伴う左季肋下部刺傷等の傷害を与えて出血による失血死させたものである、というのであつて、残酷な態様のものである。

従つて右義父殺害の犯行当時及び本件犯行当時被告人の精神状態は、兇悪危険にして人命を軽視すること甚しいものであつて、その情操面は極度に荒廃していたものと推測せざるを得ない。このように被告人が約五年半の間に二回にわたり残酷な殺人を敢行しているところから考えると、被告人には生来兇悪残忍な素質があつて殺人の大罪を反覆したのではなかろうかとも思われるのであるが、他方被告人がその幼少時代において実父の死亡という非運に遭遇し母の内夫日高との同居によつて生さぬ仲の家庭生活を送るという逆境を強いられ、義父と男性の継子との間に必然的に伴いがちな心理的葛藤、反目を通じてその相剋が救いがたいまでに尖鋭化し、あまつさえ前記のような酷薄な仕打を日高から受けるに及んで、同人との同居に耐えられなくなり遂に家出して諸所を転々し数年にわたり天涯孤独の生活を送るに至つたことは、人間形成の上に最も重要な少年期において、被告人の精神発育をきわめて歪曲したものにしたのではないかと思われる。(仮りに被告人の性格が反抗的で依怙地なものであつたとしても、これに接する日高の性格もまた粗暴残酷であり、年少の被告人に対し、義父として継子に対する思い遣りが余りにも欠けており、被告人のみを責めることができないことは右判決書の内容により明らかである)当裁判所は残酷な本件殺人の犯人である被告人に対しても、その少年期における悲運逆境に対して一掬の涙を注がざるを得ないものがある。被告人は本件殺人の犯行の際には他人の生命幸福を無視して顧みないという獣性を発揮したといい得るであろうが、他面母に対する愛情は深く平素自己の仕事は真面目に陰日向なくやつていたこと(山本正志の司法巡査に対する供述調書参照)、前記殺人以外には、前科、非行歴のないことや特に少年期における悲痛な不運逆境が被告人の人格形成に決定的な悪影響を及ぼしたのではないかと思われること等に想到すると、本件犯行の客観的側面を、又応報及び一般警戒、被害者遺族の感情の尊重という面を重視してこの際被告人に対し極刑をもつて臨むよりはむしろ被告人がその非を悟り死者の冥福を祈ると共に、既往の精神荒廃から脱却し、人間社会において自他の共存、他人の生命や幸福を尊重するという心境に到達することに期待を寄せざるを得ないものがあり、死刑の断を下すことは当裁判所のたやすく採り得ないところである。

原判決が、量刑の理由として、本件の殺害方法も特に残虐なものとはいえないと説示し、被告人が独立不覇で折目正しい近代的青年であるとの印象を受ける等と言つている点には首肯しがたいものがあるが、結局被告人を無期懲役に処した原判決の量刑はこれを以て軽きに失するとは断定しがたく、本件控訴はこれを支持することができない。(児島謙二 木本繁 今富滋)

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